エルメスでは定番のバーキンが50万円以上するにもかかわらず人気が集中し、エルメスのプレミアムブランドバーキンが入手が困難な状況が続いている。これほどの人気を得ているエルメスとは、いったいどのようなブランドなのか?その真髄を探すことにしました。

バーキン出張買取ならバーキン高値出張買取の買取プレミアム

バーキン出張買取サービスの基礎知識

永遠の憧れとして君臨するエルメス(HERMES)、特にバーキン25、バーキン30、バーキン35、バーキン40、は、店頭持込み以外にも出張買取や宅配買取も可能なことを知らない方が意外に多いのです。 自宅でエルメス(HERMES)バーキンを高値、高額で買い取ってもらえる、出張買取、宅配買取について簡単にご紹介します。

バーキン出張買取サービス利用の注意点

同一商品の纏め売りは買い取り金額が極端に低いため、注意が必要です。また、バーキン査定金額に満足いかなくても、返送料や別のサービスに申し込む手間を考えると、そのまま買い取りとなるケースも多いです。 特にバーキン25、30などの人気高額バッグの高値買い取り条件の注意点を、しっかり理解したうえで出張買い取りサービスに申し込むことが必要です。

買取プレミアムは、業界内でもトップシェア級の規模を誇る高価古物買取業です。

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買取サービスの仕組み

エルメスバーキンの買取サービスの仕組み

宅配型での買い取りは段ボールで送り、後日査定額がわかる

主に漫画やゲームなど安価で購入する商品については、段ボールに詰めて宅配便で送るケースが多いです。その後、査定額の連絡があり、金額に合意すれば2~3営業日で買い取り代金が振り込まれます。変装希望の場合は、自己負担になるケースもあります。 エルメスバーキンについてはこれにあたりません。

出張型での買い取りはその場で査定する

エルメスバーキン25、30などの高値で取引される商品、一見して値段がある程度決められない商品に関しては、売りたい人の自宅まで訪問し、その場で査定するケースが多いです。 鑑定するようなものです。高値、高額査定額に合意すれば、その場で現金買取します。

エルメスバーキン宅配型の場合

申し込みから買い取り完了まで通常4~5営業日です。

宅配型買取の場合

エルメスバーキン出張買取の場合

申し込みから買い取り完了まで約3営業日です。

出張型買取の場合

買取サービスの市場規模

出張買取サービスの市場規模は緩やかに大きくなってきています。今後も拡大傾向にあります。

買取市場規模の推移

出張買取サービス利用者の男女比・年齢層

ブランドやダイヤモンド、着物などのほか遺品整理や引っ越しの整理など、ライフスタイルの変化も感じられます。

バーキンなどの高額商品の買取サービス利用者の男女比・年齢層

買取のトレンド

季節によって上下しますがブランド(特に高額商品のエルメスバーキンバッグ)は今後も高値(高額)出張買取が増加すると予想されます。

バーキン買取のトレンド推移

出張買取サービスを利用するユーザーの性質

圧倒的に女性の利用者が多いことがわかります。商品はエルメスバーキン、時期はやはり衣替え時が多いですね。

バーキン買取サービスを利用するユーザーの性質

バーキンはなぜ高価、高額で買い取りされるのか 日本でのエルメスの歴史

二年、それとも五年待ち?それどころか予約の受付はもう終了したとか?女性たち(男性にとっても?そしてゲイの男性にとっても?)の憧れの的、といえばご存知エルメスのバーキン。 そのバッグがお店にはいってすぐに買える秘密の公式があるとしたら?そして、世界じゅうのお金持ちも知らないその公式を、あなただけが知っているとしたら? バーキンを魔法のように次々と購入し、転売することで巨額の富を築いた男性がいます。 得意客でさえ購入者リストに載せて1年以上またないと、手に入らないと言われているバーキンです。 手に入れさえすれば、すぐに高価、高額で買い手がつくのです。 しかし、誰もが彼が取った方法でバーキンを買えるわけではありません。 彼だからこそ出来た方法と言えるでしょう。(その方法については、ここではベールに包んでおきましょう)

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左:35cm フューシャピンクのクロコ素材。非常に珍しい色のため、これを見つけるのはラスベガスで勝つようなもの 右:ブルーロワのクロコ

バーキンが高価、高額買取される理由

これは中古でも同じ。むしろレア物などは中古でしか手に入らないものも多く、新品より高価であることもしばしばです。 コレクターも数多く存在します。 バーキンならなんでも欲しい、お金は関係ない、という人が実在する世界です。 需要が非常に高いのに供給が少ないので、数あるブランドの中でも、バーキンは非常に高価、高額で出張買い取りされているのです。

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バーキンにはコレクターが存在する

女性たちを夢中にさせるバーキンとは


What's In My Bag♡HERMES カバンの中身♡

出典:youtube

バーキン…働く女性や旅をする女性のための大型バッグ。 1984年、エルメス5代目当主ジ、ヤン・ルイデ、ユマ・エルメスが女優のジェーン・バーキンのためにつくり、彼女の名前をつけた。 バーキンがなぜここまで女性たちをとりこにするのか、エルメスの歴史と、日本での展開などについてそのナゾを読み解いていきましょう。

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スターターバーキン(最初に購入するには手頃なバーキン)35cmのレザー素材 色とサイズが同じクロコは約4倍の値段

プレミアム・ブランド

「いったい、どこが不況なの?」近年、東京を訪れる外国人の多くが、活気ある都市風景と総じてファッショナブルな女性たちを見て驚き、尋ねます。 とりわけ青山や銀座、六本木といった地域の変貌は激しく、ときに東京に住む者をも戸惑わせるほど。 こうした都市や女性たちの変化を先導しているのが、エルメスやルイ・ヴイトンといったファッション分野のプレミアム・ブランドです。 これらのブランドは不況のなかではじまった「第4次ブランドブーム」においても、特筆に価するほどの増収を続けています。 いまや日本女性の3人に1人がルイ・ヴイトン製品を持ち、エルメスでは定番の鞄が50万円以上するにもかかわらず人気が集中し、入手が困難な状況が続いているのです。 「世界で最も深刻な不況にあるといわれながら、日本の消費者が国際的高級ブランドの業績を支えるという不思議な構図」(「毎日新聞」2002年3月10日朝刊)だと評されて久しい。

別格の存在感エルメス

シャネル、カルティエ、ルイ。ヴイトン。名前を挙げればきりがありませんが、数多くのブランドのなかでもエルメスの存在感は別格です。 独特の雰囲気とどこか競争を超越した姿勢に対して、日本のみならずフランスにおいても「ブランドのなかのブランド」「高尚」といった表現が用いられています。 女子大で学生たちにエルメスのイメージについて自由に記述してもらうと、別格感を指摘したものが大勢を占めます。 「エルメスのブランドカは本当にすごい。あれはすこし別の″生き物″です」 「ヴイトンとかは三流に入るけど、唯一、エルメスは一流なのです」 エルメス製品の「三本柱」は、鞄を中心とした皮革製品、スカーフやネクタイといった絹製品とプンタポルテ(高級既製服)です。 なかでも、定番の鞄「ケリー」や「バーキン」の人気はすさまじい。  

1983年のある日、エールフランスのパリ-ロンドン便の機上でひとつの出会いがありました。偶然にも隣同士の席になったのは、歌手であり女優であるジェーン・バーキンとエルメスのジャン=ルイ・デュマ。ジェーン・バーキンは、16歳のケイト、12歳のシャルロット、前年に生まれたルーの3人の娘の母でもあり、ジャック・ドワイヨンと出会い映画作家としても一歩を踏み出したころでした。ジャン=ルイ・デュマは曾祖父が創業したエルメスを率いて5年が経っていました。 短時間のフライト中、二人は意気投合し会話がはずみました。ジェーンが手を滑らせてエルメスの手帳を落とし、手帳に挟んでいたたくさんの紙が散らばったのをジャン=ルイ・デュマが手伝って拾い集めていると、「どの手帳にもこういうメモが挟み切れないの。どのバッグにもポケットが足りないし!」と彼女がこぼしました。そこで彼は自己紹介し、手帳を大幅に変えるのは難しいと思うけれど、代わりにエルメスのアトリエであなたの理想のバッグを作ってみましょう、と申し出たのです。そしてジェーン・バーキンが語るイメージを、ジャン=ルイ・デュマはさらさらとスケッチに書き上げ、それを大切に持ち帰りました。その後彼らはアトリエで再会、そのスケッチはエルメスの職人の手によってかたちとなったのです。たっぷりとした容量、底が平らで安定感があり丈夫、開いても閉じてもエレガントなバッグ。エルメスの最も象徴的な職人技のサドルステッチが、洗練されたエッジを描き出しています。バッグの名前はすぐに決まりました。 出典:Hermes.com

  1990年代末には「金持ちキャリアOLにバーキン病が流行している」(「週刊文春」1999年4月14日号)、「5年待ち70万円『エルメスバッグ』に群がる女」(「週刊新潮」1999年2月25日号)といった見出しのもと、各誌が大きく取り上げるほどでした。 2001年、銀座の旗艦店オープンの際にも、その並外れた人気はひとつの社会現象として報じられました。 警備員が出動するなか、2日前からの徹夜組などを含め、開店1時間前には800人の行列が、地下鉄駅構内にまで及んでいました。 エルメスの店舗をぐるりと囲んで地面に座り込む日本女性の姿は、海外のメディアの関心をも惹きつけました。

高価、高額買取でも品薄は続く

その後、やや音沙汰がないのは、ブームが去ったからではありません。 むしろエルメス側が、あまりの人気にオーダーの受付を停止し、メディアヘの露出も控えているためだからです。 中古品や並行輸入品など二次流通市場での人気は2003年現在なお高く、しばしば正規価格よりも高額での取引が行われています。 ブランド品の二次流通市場を特集した報道番組で「バーキン」の品薄状態に話が及ぶと、30代の女性キャスターは「私たちは飢餓状態にありますからねえ」と真顔でコメントしていました。 出張買い取り会社にとっても、バーキンはのどから手が出るほど欲しい。 売りたい人の争奪戦にもなっています。 出張でなくても、高価、高額買い取りをしても、バーキンならいくら高くても欲しい人が多いのですが、とにかく商品がない。 特に限定品などレアな商品は買取して陳列したそばから、値段に関係なく売れてしまいます。 「バーキンはお金を出しても買えない」 エルメスの戦略により、まさに女性たちは飢餓状態なのです。

衰えない人気

たしかにエルメスの皮革製品のこだわり抜いた品質、飽きのこないデザインや耐久性は他を圧倒するものです。 とくに20年、30年と大事に使われてきた鞄などは古びるどころか、革自体の存在感がひときわ際立っています。 いつの時代にも、このうえなく贅を尽くした品々を愛好する人々がいます。 それはヨーロッパでは、上流階級の特権でした。 しかし現代日本では、それが「社会現象」になっています。 「自分へのご褒美」「持つだけで『クラス感』がでる」、さらには未婚女性が「娘の代まで使えるから結局はお得」などと様々な「弁解」を並べ立てて、本人や夫の給与よりも高額な鞄に飛びついているのです。 一方でエルメスに対する不満を聞くことも多い。 日本のエルメス直営店を「一見」で訪れた場合にしばしば見られる、店員の高圧的な態度は、一般的に評判が悪いのです。 あまりに時間がかかるメンテナンスに関する不満の声も少なくありません。 しかしそんな巷間の声にもかかわらず、エルメスの人気は衰えを知らず、極端な品薄感のなかで「別格感」が際立つばかりなのです。

謎多き「ブランド」

これほどの人気を得ているエルメスとは、いったいどのような企業なのでしょうか。 1837年にパリに馬具工房として創業後、20世紀はじめにファッション分野へと本格的に参入し、現在は5代目にあたるジャン・ルイ・デュマ・エルメスによって率いられています。 2003年現在で世界160都市に店舗を構えるに至り、いまや世界を代表する高級ブランドの筆頭格です。 しかしながら、企業としての規模は驚くほど小さい。 1993年のパリ証券取引所第2部上場後も徹底した同族経営で知られ、1997年時点では親族が株式の80%を所有しています(「Forbes」1997年10月号)。 1998年の段階で世界の従業員数は約4000人に留まり、資金はすべて内部調達でまかない、さらにデュマ自らが「クリエイティブ・ディレクター」として商品全体を統括しているため、しばしば「デュマの個人商店」とも喩えられています。

際立つエルメスの独自路線

図表はフアツション部門に限定したブランドの系列図ですが、近年LVMH (モエ・ヘネシー・ルイ・ヴイトン)グループをはじめ高級フアツションを扱うブランドの国際的なグループ化が進むなかで、エルメスは単独のメゾンとしてその独自路線をいっそう際立たせています。 日本法人についても、2002年度の申告所得は107億円で、フアツション関連の海外ブランドではルイ・ヴイトンの341億円に続く。 同種の製品ではルイ・ヴイトンの少なくとも2倍以上の価格となり、しかも広告率が非常に低いことを考えれば、これは特筆すべき数字です。 しかし、エルメスをはじめプレミアム・ブランドに関する研究や調査となると、日本はもとより海外でもきわめて少ない。 企業側が情報公開に対して非常に消極的であり、充分な資料が集まらないという事情もあります。 担当者は「エルメスはブランドではない。マーケテイングも行っていない。これまでもマーケテイングを中心にして、たくさんの取材依頼があったがすべてお断りしている」と、やや強い口調で話されました。 そしてエルメスは職人の手仕事によって最高級の品物を作っているだけ、という姿勢を強調されたのです。

老舗プレミアム・ブランド

ファツション分野には、エルメスを筆頭にルイ・ヴイトンやカルティエ、シャネルなどほぼ1世紀以上の伝統、そして現代性を併せ持ついくつかの強力なブランドがあります。 世界的なビジネスを展開し、高額でありながらも高収益をあげるこれらを「老舗プレミアム・ブランド」とします。 次いでクリスチャン・デイオールやイヴ・サンローラン、ジバンシイなど主に戦後に登場して名声を確立し、創立者の死後あるいは引退後も「ブランド」が存続しているものを「中堅プレミアム・ブランド」とします。 そして設立からの歴史が短いか、知名度が低いものの、これから成長の可能性のあるものを「潜在的プレミアム・ブランド」とします。 これらを総括して「プレミアム・ブランド」として言及し、なかでもエルメスとの比較、そして長期的な人気という面から「老舗プレミアム・ブランド」に注目します。 「老舗プレミアム・ブランド」には、関係者が共通して語る二つの成功要因があります。ブランドの原点となるアイデンテイテイの明確さと、「伝統」を守りながらの絶え間ない「革新」、すなわち時代に応じた商品開発です。

理屈を超えた愛着

ブランドがターゲットとしているのは30代前後の女性。女性たちのプレミアム・ブランドに対する愛着は理屈を超えたところにあります。 特別に必要のないものであるにもかかわらず、ブティックでお気に入りを見つけると「運命的な出会い」だと思ったり、「迷っていると誰かにとられる」といった焦燥感にとらわれたり、「どうしても一緒にいたい」と願ったりします。 それはちょっとした恋愛の気分とよく似ていて、まったく不合理で説明の仕様がありません。 世界的な老舗プレミアム・ブランドの人気の分析は、時空を超えた集団的な「恋心」の分析にも似ています。 しかし170年近くにわたって人々を魅了してきた企業です。 そこには「不合理な恋心」を操るだけの確実な理由があるはずです。

日本におけるエルメスの歴史

今でこそ海外旅行もブランド品も珍しくありませんが、それはごく最近の出来事にすぎません。 エルメスはどのように日本で現在の人気を博していったのでしょうか。 海外のブランドが戦後、日本に導入されていく過程を追いながら、エルメスが定着するまでを見てみましょう。

舶来品と接する機会は少なかった

1950年代半ばの海外渡航者数は年間5万人程度で、航空機利用者はその約70%を占めるに過ぎませんでした。 いまや身近な海外旅行先の代表となっている、ハワイに行くにもプロペラ機で16時間、ヨーロッパ線ともなると南回りでバンコクやカイロを経由して、何十時間とかかっていました。そもそも、日本航空が設立されたのも1951年のことです。 空を飛ぶということ自体が特別なことであった時代、一般の人々にとっては、政府が一部のデパートに特別に認めた「等価商品交換による特別輸入外貨枠」によって輸入された商品を販売する、「イタリアンフェア」などの「外国祭」が、「舶来品」と接する数少ない機会でした。

第一次ブランドブーム

しかし、1960年代の高度経済成長を背景に、状況も大きく変わってきます。 「所得倍増計画」が掲げられた池田内閣の時代(1960〜64)には、ソニーのトランジスタラジオの輸出などにより外貨準備高が急増し、貿易政策も自由化の方向へと転じていきました。 内閣成立の時点で約4割であった自由化率が、2年ばかりで約9割となり、ようやく「舶来品」が自由に手に入る時代が訪れたのです。 民間レベルでの海外交流が増加するなか、有名デパートが海外のデザイナーとの提携によって、オーダーメイドのブティックを次々と開いていく。 これらの製品はかなり高価で一般の人々には高嶺の花であったが、国内ブランドが加わったその後の「第1次ブランドブーム」を牽引することになります。

プレミアム・ブランドの国内導入

ヨーロッパの伝統あるプレミアム・ブランドを国内に導入しようという動きも高まっていきました。 その先導役を果たしたのが、銀座「サンモトヤマ」の創業者で現会長の茂登山長市郎氏や、西武百貨店のパリ駐在部長を務めていた堤邦子氏です。 茂登山氏は戦後まもなくから、主に駐留軍を通してアメリカ製の嗜好品を入手して「闇」商売を行っていましたが、1959年に特別にパスポートを入手し、初めてパリやフィレンツェを訪れました。 そこでヨーロッパのプレミアム・ブランドの製品に触れ、アメリカ製品とは全く違う完成度の高さに感銘を受けたのです。 貿易自由化を受けるや茂登山氏は、「現代の芸術品」を日本に紹介したいという一種の使命感から、世界の名だたるブランドの本店に直接赴いて、代理店として商品を扱いたいと熱烈な交渉を開始しました。 エルメスは頑として受け付けませんでしたが、彼はその粘り強い交渉によって、フェラガモ、ロエベ、グッチ、セリーヌ、バリーなどいくつものプレミアム・ブランドと、日本で最初の代理店契約を結ぶことに成功しました。 のちに「もうけたいという気持ちももちろんありましたが、それよりも文化的に素晴らしい一流のブランド商品を日本に紹介したいという思いのほうが先でした」と、当時を振り返っています(『20世紀日本のファツション』)。

20年目の躍進

試行錯誤を経て、1970年代に「ブランド」は一気に一般化していきます。 1970年の大阪万博では、フランスのプレミアム・ブランドー7社の製品を紹介する企画館、ブティック・ド・パリが大成功を収めた。エルメスやシャネル、クリスチャン・デイオールなどの製品が小物類を中心に一堂に会し、「万博記念」のシールが貼られた香水などが爆発的に売れて、当時で1億2000万円の収益があがったといいます。 同年に創刊された「アンアン」は一般の若い女性向けのフアツション雑誌として人気を博し、この年の誌面ではルイ・ヴイトンのバッグを紹介しています。 続いて「ノンノ」も創刊され、「アンノン族」といった言葉も生まれました。 当時のエルメスは一般的な知名度こそ低かったのですが、銀座のホステスはこぞって買い求めていたそうです。 この頃、「ブランド品」は着物に替わる彼女たちのお手頃な正装になりつつありました。 「サンモトヤマ」は銀座という場所柄もあり、こうした女性たちで賑っていたそうです。

ブランド買占め、偽ブランド品の横行

ニクソンショックを契機に円高となった1971年以降、「舶来品」の入手はいっそう容易になりました。 ただし内外価格差はなお大きく、70年代後半にはパリのルイ・ヴィトン本店で日本人の行列が問題化するようになっています。 日本人の海外でのブランド品買占めが話題になるのは、この頃です。 偽ブランド品による被害に加え、ブランド側のライセンス供与も急増し、本物、偽物をあわせたブランド品が氾濫するようになりました。 1978年には、三越をはじめとした有名百貨店から官庁の売店に至るまで、偽ブランド品が紛れ込んでいたことが新聞社の調査で判明し、大騒動になっています。 当時の朝日新聞記者によれば、昭和天皇のもとにまで偽エルメス製品が届けられたそうです(佐々木明『類似ヴイトン』)。

新しい女性のライフスタイル

「JJ」(1975年)や「25ans」(1980年)といった「お嬢様」志向の雑誌も登場し、ブランドは若い女性にも定着していきます。 のちに「クロワッサン症候群」として語られ、キャリア志向・シングル志向という新しい女性のライフスタイル形成に一役買ったとされる「クロワッサン」も創刊されました(1977年)。 エルメスは1979年、丸の内に初の直営店を開き、1983年には西武百貨店との折半出資で日本法人エルメス・ジャポンを設立します。 芸術性に富んだウインドウ・デイスプレイなど日本ではみられなかった時代に、エルメス丸の内店の華麗なディスプレイは丸の内OLの憧れの的となりました。 しかも、当時は店員の大半がフランス人で、彼らは女性たちに本当に優しかったのだそうです。 「似合うものを真剣に選んでくれたり、逆に使用用途を聞いて、買わないほうがいいものも、正直にアドバイスしてくれた」「小さなものを買ってもいつも面白いノベルティグッズをくれた」「どんなわがままなオーダーも快く聞いてくれた」など、初期の丸の内店を懐しむ声は多い。 なおこの時期、銀座のデパート「松屋」の幹部がエルメス・パリ本店のウインドウデイスプレイに感銘を受け、地下鉄通路を利用したウインドウを設置しています。 当時を知る人々の話では、エルメスが日本のショーウインドウ文化に与えた影響は相当大きい。

日常化するブランド

年代の国内「DCブランド」ブームなどをも含んだ断続的な第2次、第3次のブランドブームを経た現在、日本は1995年以降の第4次ブランドブームにあるとされます。 不況のさなかの今回のブームでは、ブランドの淘汰が急速に進んでいます。過去にライセンス品に頼っていたブランドや、内外価格差の大きかったイタリアのブランドは弱体化し、エルメス、ルイ・ヴイトン、シャネルといった老舗プレミアム・ブランドが強さを際立たせています。 ブランド旗艦店の日本進出も、これまでにない動きです。 バブル崩壊後、とくに1997年から1988年にかけての円の急落のなかで、日本人海外観光客の数は大きく減少しました。 売上げの多くを日本人に依存していた海外のプレミアム・ブランドは、株価にまで深刻な打撃を受けます。 その結果、莫大な初期投資を行なってでも日本国内での売上げを確保しようという動きが強まり、それが近年の開店ラッシュを導きました。 なお大手投資銀行の調査によれば、不況期にまず贅沢品を買い控えるのがアメリカ市場、収束の動きが見られないのが日本市場の特徴だといいます。そして現代の東京では、「どこが不況なの?」と外国人がいかぶるほどの光景が展開されています。 とくにエルメスは、同種のものならルイ・ヴイトンの少なくとも三倍以上と圧倒的に高価であるにもかかわらず、この不況期に過去最大のブームを迎えています。

日常の一コマとなったブランド品の消費

1985年のプラザ合意と、その後のバブル経済を契機とした円高の急進と海外旅行ブームでどことなく浮き足だった時代、ブランド品の消費はもはや日常のひとこまとなりました。 エルメスの人気も1985年のスカーフブームや、本社による若者にも親しみやすい方向への「革新」を背景に、急速に高まっていったのです。 エルメス・ジャポンの売上げは、日本法人発足からわずか4年後の1987年には4倍に伸び、若い女性向けの雑誌に登場する回数も日立って増えるようになります。 同年、デュマは「日本は新たな戦略拠点」と語り、デザイン面での交流も積極化するなど本格的な展開を始めています。 小売部門の直営化もすすめられ、1993年にはエルメス・ジャポンの西武対エルメス本社の株式比率は1対9へと変化しました。

高額商品思考の高まり

高額な商品への志向は高まり、シャネル好きの「シャネラー」やグッチ好きの「グッチャー」などと呼ばれる芸能人が登場し、一般女性にもワンレン、ボデイコンにブランド尽くしというファッションが広まっていきました。 一方、1986年に男女雇用機会均等法が施行され、キャリア志向の女性を対象としたオフィス向けファッションの需要も本格化します。 女性誌の主導で、若い女性が服飾品に何十万という金額をかけるというスタイルが、一般に知られていくようになるのはこの時期です。 ところがエルメスは、プレミアム・ブランドの顧客の裾野がかつてなく広がったバブル期にも業績を急増させることなく、安定して業績を伸ばしていきまた。 当時の芸能人らによるブランド品の買占めが、いくつかのブランドのイメージを低下させたと言われますが、エルメスの場合は、そもそも単価が圧倒的に高く店頭の品物の数が限られ、しかも流行の要素が低かったがために大規模な買占めを免れたのです。

エルメス・ジャポンの健闘

このように戦後日本では、経済の動向に大きく影響を受けながら多数の海外ブランドが登場し、女性たちのライフスタイルとメンタリティに大きく関わりながら、特徴をもつ「ブーム」が繰り返されてきました。 この半世紀は海外ブランドにとって試行錯誤の連続でしたが、エルメスは日本に登場した後20年間の停滞を経て、1983年の日本法人設立後は2003年現在まで安定して連続増収を続けています。 淡々と品質とイメージを守り、バブル期にも業績が急増することもなければ、不況期に減収するどころか絶好調となり、今度は意図的に販売を抑制します。 今後、業績が低減したとしても、意図的な抑制策の結果として判断されるでしょう

エルメスの伝統と戦略

エルメス本社には、長い歴史のなかで、存亡にかかわる危機を経験しながら淘汰を経てきた伝統と、長期的展望に根ざした戦略があります。 本社の経営方針を日本に密着した形で展開しているのが、日本法人であるエルメスジャポンです。 日本登場後のエルメスの原点となる「品質」「イメージ」「希少性」は、いかにして守られてきたのでしょうか。

本社管理の品質

まず「品質」に関しては、日本で販売される製品についてもすべて本社が管理しています。 とくにライセンス天国と見倣された日本で、ライセンス生産を行わなかったことは出色であり、現在の圧倒的なブランドイメージを支えています。 不況を経て勝ち残った「スーパーブランド」とされるルイ・ヴイトン、シャネルも同様です。 「イメージ」も厳重に保持されました。 停滞期においても、値下げや一般を対象にしたセールはもちろん、普及品の販売も行なっていません。 直営店の立地や内装、品揃えなども徹底して重視しています。 近年でこそ、各ブランドが店舗へのこだわりを見せていますが、日本進出当初からの試みは、他社とは大きく異なるところです。 加藤前社長は「ちょっとブランドのにおいをかがせればいいというような手抜きのデイスプレーは許されない」と語り、パリの雰囲気を再現する店舗へのこだわりを強調してやまない(「日経産業新聞」1990年2月16日)。

顧客の差別化

「希少性」も守られました。ブームになると「職人の手仕事」による製造の限界が強調されます。 オーダーには2年待ち、3年待ちというスタイルが保たれ、さらには受付を停止することでかえって人気を高めます。 時期にもよりますが、直営店では現在でも異常なほどの品薄感だ。このため、「見つけたら、即買い」といった風潮が生まれ、50万円以上の鞄が「ほんとうはあの色のほうがいいんだけど」などと、ぼやかれながら売れていきます。 なお上得意はこの限りではありません。顧客はきっちり差別化され、顧客限定のパーティなどでは、普段店頭に出ることのない鞄などが陳列され、飛ぶように売れています。 店舗数についても、数をやたらに増やさずに質の向上をめざすと明言されています(「日経流通新聞」1990年11月29日)。

多様なニーズに答える厚み

ブランドの原点の維持に加え、現地密着型の時宜を得た広報活動が、短期的な業績拡大につながっています。 齋藤峰明エルメス・ジャポン社長は、デュマ時代の様々な新製品の投入もバランスよく業績を支えていると強調します。 老舗プレミアム・ブランドとて、常に好調であるわけではありません。 短期的な景気や社会情勢の変動に流されず、原点に依拠しながら長期的な視点を保つ。 それでいて暖簾にあぐらをかくこともしない。これまでの蓄積と柔軟な対応で、多様なニーズに応えるだけの厚みがあるのです。 これこそ伝統のなせる業であり、またエルメスがデュマの「個人商店」だからこそのメリットでもあります。

消費者の鑑識眼

1990年代以降、有象無象のブランドの多くが淘汰されていきました。 これに対し老舗プレミアム・ブランド関係者は、一様に日本人消費者の「成長」を語ります。 「我々が変わったのではなく、消費者の意識が大きく変容したのだ。ようやくエルメスが理解される時代になった(加藤前社長)」(「日経産業新聞」1994年4月25日) 「むしろ長く大きな目で見ると、時代の流れだと思います。大量生産、大量消費の時代を経て、あふれるぐらいに物がある現在は『市場の成熟時代』といわれますよね(中略)エルメスの商品は、豊かな生活になるほど必需品といえます(齋藤社長)」(「サンデー毎日」1999年8月8日号) 「日本人の美に対する意識はとても高く、そしてどんどん成長しているように感じます。その証拠に、カルティエの高価なジュエリーも売れるようになってきました」(カルテイエインターナショナル・レマリー社長)(「TiTLe」2002年4月号) 1980年代末から1990年代というおよそ10年間で、日本では文化的に鑑識眼の高い消費者が、非常に厚い層として育ち、消費文化を支えています。 なかでも注目すべきはプレミアム・ブランドの主な顧客となる女性の「成長」です。 近年では、日本の消費者は世界のどこの国よりも厳しい目を持っているといわれ、とくに化粧品では日本でヒットしたものは世界でもヒットすると言われています。 なぜ、こうした厳しい眼をもつ消費者が大挙して登場しえたのでしょうか。

第1世代―― 「戦後」の清算

1970年代以降、ブランドが急速に一般化していった。 大学生やOLになってからブランドブームに接し、バブルで贅沢を定着させた1950年代から1960年代生まれの層(第1世代)と、幼少期からブランドに当たり前のように接してきた1970年代以降生まれの層(第2世代)とでは、ブランド観や消費行動は大きく異なっています。 第1世代は、自らの成長とともに幾度ものブランドブームやバブル経済を経験するなかで鑑識眼を「成長」させつつ、エルメスに行き着きました。 この第1世代が「ケリー」や「バーキン」など、とてもわかりやすい「ブランド品」の熱烈な支持層でしょう。 「モノ」より「ブランド」に憧れてきた世代だとも言えます。 老舗プレミアム・ブランドを頻繁に引き合いに出す人気女性作家やエッセイストなどは、ほぼこの層に入り、特有のブランド観を描いています。

時代の過渡期を凝縮して体験した層

この上の世代では「舶来品」、下の世代では「日用品」として、ブランド品に対する距離感は異なります。 第1世代の「ブランド」感覚にはずれを感じるところが大きい。 第1世代はなぜ「エルメス」に至るまで、ブランド熱をエスカレートさせたのでしょう。 いかに品質がよいとはいえ、中古車が買えるほどの価格の鞄が「ブーム」となるのは冷静に考えれば不思議な事態です。 明確な理由を特定するのは難しく、世界史のなかでときどき登場する、極端なファツションの一例として捉えることも可能かもしれません。 ただし、この世代が時代の過渡期にあたる現象を、凝縮して体験した最たる層であることは指摘できます。 彼女たちの前後では、女性に与えられた選択肢も可能性も、全くとぃっていいほど異っています。

現実と理想のギャップの大きさ

より上の専業主婦世代と、すぐ下のキャリア世代の狭間で、自らのアイデンティティを確立するのが難しい。 第1世代は専業主婦になりきるにはどこかで不満をもち、いっぽうでキヤリアを追求するにしても、この世代ではなお手探りで「ガラスの天丼」に阻まれていることが実情に近いといえます。 そのうえ、バブル経済や女子大生ブームで若い頃はちやほやされてきたから、現実と理想のギャップがいっそう大きいのです。

ケリー、バーキンは成功の象徴

「偽有栖川宮妃」事件、それを報じる週刊誌のなかで、人気放送作家の山田美保子氏が「金妻的ライフスタイル」や「プリンセスに憧れるところ」など「妃殿下」と世代として通じるところがあり、「最初から東京にいなかったら、私たちもああなってたかもしれないよね……」と友人と同意したと書いています(「週刊新潮」2003年11月6日号)。 中村うさぎの一人称は「女王様」です。エルメスやシャネルを武器に「野望の道を突き進み」「『成功』という名の宮殿」にたどり着くはずが、そこにはなんにもなく「あれって蜃気楼だったの―っ!?」と過去を回想しています(『ショッピングの女王』)。 彼女たちの親は戦前生まれで、若い頃にもっとも物がなかった時代を経験しています。 その反動のように、とてもわかりやすい「成功」の証を好み、娘の贅沢を肯定し、ホテルでの大披露宴を好んだりした層でもあります。 彼女たちが青春を謳歌した80年代には、「シンデンラ城」のあるディズニーランドでのクリスマスデートなどというイベントもはやっていました。

現代のエルメスブームは集団的代償行為?

「ケリー」「バーキン」は戦前世代のメンタリティが投影された第1世代の専業主婦、キャリア路線それぞれの、もっともわかりやすい「成功」の象徴であり、ファンタジーそのものです。 現代のエルメスブームは、なかなか思うような自己実現ができないままに、中年といわれる年代に差し掛かった過渡期世代のプリンセスたちと、さらには物資不足時代を経験した親世代の壮大な集団的代償行動という観があります。

第2世代 モノはモノ

「第1世代」にあたる甘糟りり子は現代のエルメスブームを捉え、東京の女の子たちは、「ブランドすごろくのあがりに早くいきつきたくてケリーバッグやバーキンをぶらさげているように見える」(『贅沢は敵か』)といいます。 しかし第1世代にとって「あがり」であるエルメスは、1970年代以降に幼少期を過ごした第2世代にとっては「ふりだし」にすぎません。 最初から、エルメスもヴィトンもキティちゃんも、なにもかもが一緒にあるのです。1975年生まれのタレント、神田うのは、こう言ってクロコダイルのバーキンを披露します。「ブランドも値段も関係ないんです。キャー、可愛い!!って思えるかが大事なの」(「CREA」2000年1月号)

モノとしての機能性やイメージで淘汰されるブランド

実際に若いうちから購入できる者となると限られるでしょうが、少なくとも「第2世代」の周辺には「いい物」がたくさんあります。 物に対して眼の肥えた層が、老舗プレミアムブランドの王室御用達といった過去などに囚われず、単にモノとしての機能性やイメージにおいて取捨選択を行い、多数のブランドを淘汰していっているのです。 女子学生のアンケートでも、「ヴィトンは三流」と言い切る学生たちが登場しています。 世界的にも特筆されるほど若年層である日本の消費者が、次々とブランドに付加価値のある新商品を求めています。

ブランドよりもモノ

欧米では、プレミアム・ブランドの品物を一般の若者が日常的に使うという意識自体が、現在に至るまで基本的には存在しません。 本来は上流階級の愛用品であったブランドを、何とも思わないような姿で持ち歩く日本女性は、海外ではかなり目立ちます。 新たに登場しつつある「ブランド」よりも「モノ」が好きな日本の若者層の要求に対応することで、ブランド側の商品展開の多様化にも拍車がかかり、日本、さらには世界的なブランドブームを過熱させているのです。 「タイミングのよい新製品の投入」(カルティエジャパン、ヴイニュロン前社長)、「バランスのよい品揃え」(エルメス・ジャポン齋藤社長)と、老舗プレミアム・ブランドの日本法人社長は新しいものが好きな若者の嗜好に応える新規商品の充実を誇ります。

「銘」としてのブランド

物があふれるなかで育った日本の若者層は、世界の消費文化の歴史のなかでも鑑識眼の高さにおいて特異な存在です。 彼らは、いまや世界的にも「クール」と呼ばれる文化の担い手となり、今後のプレミアムブランドさらには消費文化を牽引する存在となりつつあります。 なぜこうした層が登場したのでしょうか。

文化的伝統の共通性

直接的には、さきに挙げた戦前世代の支持のもとでの「第1世代」による壮大な消費文化が、現在日本のブランドブームを形成してきました。 しかしながら、より歴史的な背景から、プレミアム・ブランドさらにはそれを育んだパリと、日本との文化的伝統の共通性を強調する向きもあります。 たしかに、エルメスをはじめ一部プレミアムブランドの、何にでもあわせやすいシンプルな実用品を追求するという姿勢は「用」の美にも繋がるところです。 簡素性を強調する姿勢は禅の文化ともつながります。

日本文化の伝統とプレミアム・ブランド

そもそも日本には着物の文化があり、また茶道や華道では家元という「ブランド」が馴染み深いものとなっていました。 着物はもとより、茶道具や花器などは作り手や家元の「銘」が入るかどうかで、その価値がまったく異なってきます。 日本文化に造詣の深い方によれば、日本でプレミアム。ブランドがこれほど受容されるのは、この伝統のためだろう、とのことでした。 「銘」の文化に慣れた眼には、欧米のブランド品はひどく分かりやすい「銘」なのであり、しかも高価といっても、着物や茶道具に比べればずっとお手ごろです。 こうした土壌があるからこそ、海外のプレミアム・ブランドは日本にすんなりと受け入れられ、しかも若い世代がプレミアム・ブランドを持つことにもさほど違和感がないのではないでしょうか。 すでに述べましたが、銀座のクラブでは着物から洋服への変化のなかで「ブランド」品の需要が急増したといいます。 着物の文化や茶道・華道などのたしなみや社交の場が消えてゆくなかで、プレミアム・ブランドの品物はそれらと入れ替わるように一般の女性にも定着していきました。

小説にみるブランド観

田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(1981年)では、主人公の女子大生はライセンス生産品や国内のものを含め、様々な「ブランド」に囲まれていまが、そこには分相応の感覚が強く働いていました。 彼女はルイ・ヴイトンやシャネルなど老舗プレミアム・ブランドの製品を自ら使用することはなく、シャネルが似合うマダムを見て、自分もいつかそうなりたい、と思うところで物語は完結します。 1990年前後に「都会的」と言われた作家の代表格、森瑶子の作品でもやみくもにブランドが使われることはありません。例えば主人公はフェンデイの毛皮を着ていながら、あえて男性にこれはフェイクなのだと語るくらいの、女性の意気あるいは粋がありました。 ブランドが氾濫する時代だからこそ、それが洒落ていると思われたのです。 しかし「バーキン」が流行しはじめた後、第4次ブランドブームのなかで書かれた「都会的」な小説や流行評論などでは事情が違います。例えば林真理子の小説『花探し』では、エルメスは男性の愛情表現の手段として評価されます。 他のブランドよりもずっと高価だという単純な理由からです。 いっぽう、『コスメティック』では、キャリアウーマンである主人公は、自分が稼いだお金でバーキンを購入するのに「何のためらいがあるだろうか」といいます。

快楽としての消費

現代は「ブランド」が飽和状態になった時代です。 この時代の気分を反映するように登場したのが、ブランド品の壮絶な衝動買いをテーマにしたエッセイを売り物とする、自称「無駄遣いエッセイスト」中村うさぎ氏。(彼女の連載「ショツピングの女王」は1998年以来、「週刊文春」の名物コーナーのひとつである)。

使用価値よりも購入の快感

エルメスを「阿修羅のごとく」購入したという中村氏は、自ら認めるように「買い物依存症」なのであり、もっぱらこうした製品の使用価値よりも、購入するときの快感を強調するのです。 そして、商品の購入という行為そのものに重きをおいた消費行動は、彼女に限ったことではなく、現代を特徴づける消費行為の一潮流となっています。 甘糟も流行に対して、そこには「凄まじい消費への欲求があるだけ」なのだといいます。 「物欲とは違う。物そのものが欲しいのではなく、いち早く時代を使いきってしまいたいという欲求が自分の中に渦巻いている。ほとんど肉体的な欲望に近い感じがする」と語ります(『贅沢は敵か』)。 もっぱら40代以上の女性で、ブランド商品を購入することで満足し、その後は封もあけなかった、という買い物依存症的な経験を持つ方が何人かいます。 依存症的な感覚は極端だとしても、同様の行為はもはや一般化しているのではないでしょうか。

最後に

プレミアムブランドが日本でどのように受け入れられてきたのかその歴史や、エルメスを筆頭とする現代のブランドブーム。 世代によって違うブランド感から見えてくる時代背景などあまりに壮大でまとまりませんでした。 老舗プレミアム・ブランドの中でもエルメス、特にバーキンが常に品薄状態で、中古品が新品より高い場合もある理由にうなずけます。 バーキンに対する各世代の女性たちの渇望がバーキンの出張での高価、高額買取につながっているのです。

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