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エルメスでは定番のバーキンが50万円以上するにもかかわらず人気が集中し、エルメスのプレミアムブランドバーキンが入手が困難な状況が続いている。これほどの人気を得ているエルメスとは、いったいどのようなブランドなのか?その真髄を探すことにしました。

バッグ界の最高峰エルメスバーキン

高級ブランド・バツグの世界は、自動車や服と同様に、注文生産品を頂点、大量生産品を底辺とするクオリティのピラミッド構造になっている。 やはり最高峰はエルメスのバーキンハンドバツグだ。最高品質のレザーとフアブリックを使って手縫いでつくられるバッグは、価格が6000ドル以上で、ときには、注文してもウェイティングリストに載ってから何年も待たなくてはならない。

富と成功を象徴するエルメスバーキン

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エルメスのバッグは、高級フアツション産業で最後に残ったク真の一流品だと多くの人々が考えている。それを持つのにふさわしい人間から長く選ばれてきたバッグだ。

ジャクリーヌ(ジャッキー)・ケネディ・オナシスはコンスタンスを肩から提げている姿を何度となく写真に撮られたため、客はエルメスの店で「ジャッキー・oのバッグをください」と店員に注文した。

グッチ・グループのオーナー、フランソワ・ピノーの妻、マリヴオンヌ・ピノーは、2001年のパリコレにグループ傘下のブランド、グッチでもサンローランでもなく、エルメスの大きなバーキンを腕にかけて現れ、業界関係者を驚かせた。

マーサ・スチュアートは2004年、インサイダー取引の被告人となった裁判に茶色のバーキンを持って現れ、「富と特権階級のにおいがぶんぷんするバツグを、陪審裁判の場に持ってくるのは軽率としか言いようがない」と『ワシントン・ポスト』に批判された。

今日、高級バッグといえども購入するときは何の緊張感もない。シツクなスーツを着たセキュリティの立つきれいな店に入り、ディスプレイされたバッグを十分に吟味し、選び、カネを払い、購入した商品を持って店を出る。高級品のショツピングは、いまや価格でどきどきする以外はGAPでのショッピング体験となんら変わらない。

製品として高級ブランドのバツグに際立った特徴はない。

これまで何千個と生産されてきた高級ブランドのバッグは、どれも同じだ。特別に注文を出して自分だけのオリジナルでもつくってもらわないかぎり、それは非常に限られたビジネスで、せいぜい2,3社しか受け付けてくれるところがない。手に入るのは既製のバッグでしかない。

一方、エルメスのハンドバッグバーキン、または鞍でもトランクでもいいが、本物のぜいたく品を買い求める本物の体験ができる。エルメスのブティックが来店した客にその場で販売するバッグは、1シーズンに数点しかない。エルメスのバーキンバッグを買いたければ注文するのが普通だ。

バーキンが店に陳列されている

バッグは、ただ陳列されているに過ぎない。デイスプレイされているのは、あくまでも選択するための見本としてなのだ。

まず牛革、ワニ草、オストリッチ、キャンバス地といったなかから素材を選ぶ。色を選び、金具部分をシルバー、ゴールド、あるいはダイアモンドがはまった素材にするかを選ぶ。

ケリーバッグなら縫い目が外に出ているか、それとも内側に折り込まれているかを選ぶ。仕様書どおりにつくられるまで数カ月待つ。完成品が店に届くと、「受け取りに来てください」と知らせが来る。そこでようやく自分のバッグを手にすることができる。

エルメスのバッグは「イット」バッグと対極をなす。大半のデザインは1世紀近くも変わらず、「流行っているから」ではなく、「どの時代の流行からも決して外れない」がゆえに切望される。

目立つところにロゴが入っているわけではない。だが、バツグそのもので十分にエルメスであることがわかる。バッグそのものが、代々受け継がれてきた財産と洗練された趣味を物語る。

たとえバッグを持つ人が財産もセンスも持っていないとしてもだ。富と成功をさりげなく象徴する高級品、それがエルメスバーキンなのだ。エルメスのバッグがどのようにつくられているかを見れば、かつての高級品がどのようなものだったかを知り、それが今ではどうなってしまったかが理解できるはずだ。東京のエルメスは銀座にあり、女性を魅了し続けている。詳しくはバーキン出張買取ならバーキン高値出張買取の買取プレミアム を見れば一目瞭然である。

エルメスの特別注文品を作るパンタン

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2005年3月のある寒い朝、私はパリ北部のパンタンにある、エルメスの特別注文品を扱う作業所を訪れた。パンタンは、フオーブルサントノレにあるエルメスの本店から車か地下鉄で30分ほどの距離だが、パリ本店周辺とはまったくの別世界で、住民の大半がアフリカからの移民である貧困層の居住地区だ。

住民の多くが公営住宅に住み、小さな商店を経営するか、非熟練労働についている。失業手当で暮らす人々も多い。2005年10月、人種差別を発端とした暴動はこのすぐ近くで起こり、パンタンにも広がった。

そんな地区の中心にエルメスの最初の子会社はある。エルメス・セリエールは19991年に完成した、ガラスとグリーンのメタルでつくられた現代的で巨大なビルの中にある。

長期にわたってエルメスのトップで、2006年に引退したジャン・ルイ・デュマの妻で、有名なインテリアデザイナーでもあるレナ・デュマが内装を担当した。ビルの様式は、フランスの伝統的な美的感覚で知られるエルメスらしさの対極にある。白い石の床とガラスの壁、ガラス張りのエレベーターのあるアトリウムは、噴水と熱帯の観葉植物があればホテル・ハイアットみたいだ。壁の1面にはエルメスのシルクのスカーフが市松で張られている。

パンタンはエルメス最大のレザー製品の生産拠点― 従業員数300名、15のアトリエがある。管理部門や、既製服など他の製品の生産部門に加え、革細工職人の養成学校まである。

エルメスでは革細工職人として新たに雇用した者すべてその大半はフランスでもっとも名のある革細工アカデミーの卒業生だ。自社の学校で2年間見習いとして修業させ、同社の裁断方法から独自のサドルステッチを完璧に縫える能力まで、その優れた技術を学ばせている。

ビルの4階には特別注文のための作業所がある。豪華なクロコダイルやアリゲーターの皮革を素材に、さまざまなサイズのケリー、バーキン、コンスタンスがつくられている。

特別注文は長らくエルメス製品の中核を担ってきたが、なかには変わった注文もあるという。内側にエルメスのシルクのスカーフを張った革のヴァイオリンケースを注文したヴァイオリェスト。自分が仕留めた獲物の皮革でトランクをつくってほしいと注文した狩猟家。ポケットモンスターのキャラクターをプリントしたケリーバッグを注文した日本人……。

1957年、サミー・デイヴィス・ジュニァはバーにもなる黒のクロコダイルのスーツケースを注文して、旅行やツアーに持っていった。2003年、ある若い金持ちのギリシャ人が、所有するヨットのメインシートを破いて、ケリーバッグを3つつくってほしいと注文した(ジャン・ルイ・デュマはその出来栄えがおおいに気に入り、翌シーズンからそのデザインをコレクションに加えた)。

特別注文のアトリエで働く約40名は全員が若くエルメスの革細工職人の平均年齢は33歳で、驚いたことに多くが女性だ。実際のところ、エルメスは若い女性たちによって支えられている。

販売員から草細工職人まで含む5871人の従業員のうち、61%が40歳以下で、65%が女性だ。ちなみに、2000年~2004年の間に、エルメスは1230名を新規に雇用し、そのなかには新たに創設した3つの革製品のアトリエで働く600名の革細工職人が含まれる。

「成長することを恐れ、成長しないことを恐れ、または、あまりにも成長しすぎて始末に負えなくなることを恐れる」とデュマはかって言ったことがある。

エルメスが競合相手とかけ離れているのは、まさにその点だ。たとえばグッチ・グループのCEO、ロベール・ポレは、2004年にグループの舵取りを任されるとすぐに「年間売上げを20億ドルから、7年以内に倍の40億ドルにする」と宣言した。だが、高級ブランドの経営陣が二言目には利益追求を回にするのとは対照的に、エルメスは企業としての成長をさほど気にせず、気楽に考えているように見える。

もっとも、エルメスの2005年の売上高は18億5000万ドルで、商品の小売価格が恐ろしく高額であることを考慮すれば、競合各社と比較しても悪くない数字だ。うち、レザー製品の売上げが40%を占める。

30年間に及んだデュマの支配下で、エルメスはウェイティングリストを減らし、既製品のバッグを店に置くことができたかもしれない。仮にそうしていれば、簡単に数十億ドル規模の会社に成長していただろう。だがデュマはあえてそうしなかった。小規模で限られた顧客だけを相手にする企業ポリシーを保ち続け、そのビジネス哲学は今も引き継がれている。

リヨンにはスカーフとネクタイをつくる絹織物の名匠が、リモージュには陶器のディナーセツトをつくる名匠がいる。マリでは金細工師が宝飾品を、ナイジェリアではトゥアレグ族がベルトのシルバーのバツクルをそれぞれつくつている。アマゾンの熱帯雨林地帯では、ゴム引きのバッグのためにラテックスの樹液を採取するインディオたちがいる。

1995年、デュマは10人の職人を連れて、インドとパキスタンの国境にあるタール砂漠に、創作のルーツを探る1週間の「探検旅行」に出かけた。エルメスの銀細工師は地元の名匠がのみや槌をつくる様子を見守り、調香師は砂漠のにおいをかいだ。現地の部族は太鼓を叩いて歓迎し、エルメス側はサンルイのクリスタルのシャンデリアをキャンプフアイヤーの上に吊り下げた。

デュマが伝えるメッセージは、その砂漠の晴れ渡った夜空と同じくらい明白だった。

「世界は2つに分かれる。道具を使う術を知っている人間と、知らない人間だ」